日本航空123便墜落事故から35年

野上尚繁

2020年08月12日 13:02





日本航空123便墜落事故は、1985年(昭和60年)8月12日、東京・羽田空港発、大阪・伊丹空港行の同社定期便だった、JAL123便(ボーイング747SR-46、機体記号:JA8119、製造番号:20783[2])が、ボーイング社の不適切な修理が原因とされる後部圧力隔壁が飛行中に破損、垂直尾翼と補助動力装置が脱落し、油圧操縦システムも全喪失した。結果、完全に操縦不能に陥り、迷走飛行の末、最終的に群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称:御巣鷹の尾根)へ墜落した。
この事故では乗客乗員524名のうち、520名が死亡し、日本航空の歴史上最悪の事故、そして単独機で世界史上最悪の死者数を出す航空事故となった。

35年も前の事故だがまさしく最悪の航空事故で日本中で大騒ぎになり、その後もこの事故のことが特集が組まれたり、映画になったりで事故の概要を把握している人も多いとは思う。ただ、事故発生時には20名ほど生存者がいたが、結果的に最後は生存者が4名となったが事故発生時に米軍の緊急救助発動の申し入れがあったが政府なのか日航なのかよくわかりませんが、この救助をことわっている。あまりこのことは取り上げられませんが、少なくともこの米軍の救助があれば随分時間が短縮され数名が助けられたのでは今も思っています。
それとタレントの明石家さんまさんがこの便に搭乗予定だったがANAに変更し助かった話は有名ですが、実は私の父もこの便に搭乗する予定だったのですがどなたかが父を食事にさそってくれてこの便をキャンセルし翌日の便に変更し父も命びろいをしているのです。犠牲者の方への弔いもふくめこの時期に思い出したように命拾いをしたと話すので私もこの事故のことは気にかけるようになってしまっています。父を食事にさそってくれた方は誰だったのかは今は父がいないのでわかりようもありませんが恩人であることは間違いありません。
それとこの事故を当時日航社員だったかたで知り合いだった方が墜落現場にはいり事故の対応にあった方がいて、悲惨だった話は聞きました。その方が飛行機事故は悲惨だと言われていましたが、その方も20年ほど前にベトナム航空の墜落事故で亡くなられたのでなんだかとても因縁ぶかい
のでこの日には犠牲者の皆さんへ黙とうをささげるようにしています。