2014年08月15日
戦闘機「震電(しんでん)」

実家の父の古い資料のなかに少々近代的な飛行機の図があった。この飛行機のことを今日が終戦記念日ということもあって聞いてみた。父の生まれ育った土地も私の本籍同様でもちろん福岡だ。終戦間近のころは父は学徒動員で福岡の軍事工場で人間魚雷「回天」をつくらされていた。そのとなりの工場が九州飛行機という工場で「震電」を製造していた工場で、この飛行機は日本でも数回の試験飛行をやってお蔵入りになった新兵器の戦闘機だったそうだが、父はその試験飛行を一度みたことがあるそうで、当時の戦闘機のスピードが120キロほどだったのに700キロも出るとてつもなく早い戦闘機だったそうで、本土決戦ときB29アメリカの爆撃機を撃墜するために開発をすすめていたという話です。試験飛行はとんでもない速さだったそうで、その工場にも父の友達や先輩が動員され働いていたので、その飛行機の操縦席にも座ったと言ってます。試験飛行をしてしばらくして今日の終戦の日となったので増産体制に入るところで中止になり、設計図、試作機はそのごアメリカにもちさらてアメリカで多分利用されたのでは?いずれにしろあと数年戦争が長引けばうちの父もかり出されたことと思います。